スペイン周遊8日間(3日目)コンスエグラ&コルドバ(by kuroさん)
スペイン周遊8日間の3日目です。
トレドの朝。(KRIS DOMENICO HOTEL)
ベランダからトレドの町が一望でき、これもまた素晴らしい。
さあ、出発の準備するか!ってときに、なんとホテルの水が一切出ないトラブル発生。
フロントの人は英語通じないし。とりあえず、ミネラルウォーター1リットルはくれた。
親切でちょっと意外。
「ワタシノ責任デハナイデス。」とかいうと思ったが。
贅沢にミネラルウォーターで洗顔。
こりゃ毎日何かあるなーと不安。
時間が早かったため、朝食バイキング全部揃わない間に出発。
しかし、出発ギリギリに出た豚肉と卵炒めはおいしかった。
前日のかったーいイベリコ豚とは違う、本物のイベリコ豚であった事を願う。
さて、午前中はコンスエグラへ。
トレドから約1時間程で到着。
ラマンチャの風車を見学。
風情のある村?町?を抜けて風車のある丘の上に。
朝早かったので観光客はウチらグループのみ。
朝はやっぱりちょっぴり寒いけど、
とてもよい天気&新鮮な空気。
(その風景がそう感じさせたのかもしれないが。)
15分程自由行動で写真いくつか。
盛りだくさんツアーのため、早々に次へ。
続いては、コルドバへ。
ここからは結構長いバスの旅。
途中、トイレ休憩もはさみ、4時間半ぐらいで到着。
町に入るのに、橋を渡る。
またこちらも町並みが中世の香りを感じさせる素晴らしい町並み。
町に着いたら、早速昼食。
トマト&ニンニク系のドロッとした冷製スープ。
コルドバ名物のサルモレホ、というらしい。
あと、テールシチュー。
昼食のあと、観光へ。
メスキータ(=モスク)へ。
イスラム教とキリスト教が融合した寺院らしいです。
こちらは内部も写真OKとのこと。
寺院内部は、柱と柱をつなぐアーチがとても美しい。
そしてめちゃ広い。
2万人入るって言ってたっけ?
メスキータを後にし、
ユダヤ人街・花の小径へ。
もうすぐお祭りがあるらしく、
各家で花の装飾が盛んに行われていました。
家とお花でとてもキュートな景色。
一通り、町を回り、
次はセビリアへ。
あー、忙し。
また約2時間のバスの旅。
セビリア到着。
バスから一瞬闘牛場が見えました。
あー、スペインに来たのに闘牛は見れないのね。。。
この日の夕食はフラメンコを見ながらのディナー。
観光客オンリーであろうレストランに到着。
しかし、ディナーショーって感じなかなかよろしかったです。
(レストランの名前は忘れましたが、地元のガイドブックにも載っている所でした。)
夕食後、ホテルへ(GRAN HOTEL LAR)。
ちょっとボロッちいホテルでした。
寝るには早くにホテルに着いたので、
外を徘徊。
その日は、レアル×バルサの熱い夜だったので、
どこのBARでもテレビをつけて観戦。
場所がセビリアだったので、熱狂的なファンはおらず。
でもみんな見てましたね。
これで、3日目は終了。
【淅江省】 杭州・西湖 * 春爛漫、龍之介に誘われ、西施と遊ぶ(by 彷徨人さん)
行く春や 西施晴のち 雨に遇う
今回のこの旅に、僕を誘ってくれたのは、まずは、芥川龍之介が、90年ほど前に書いた紀行文【江南游記】である。もうひとつは、西湖に行けば、ひょっとして西施に会えるのではないかという、僕のいつもの思い込みである。
芥川は、1920年(大正9年)5月に、中国を舞台とした短編小説【杜子春】、【南京の基督】を発表している。翌1921年(大正10年)3月末、29歳の時、大阪毎日新聞海外視察員として中国に長期に出かけている。
1914年第一次世界大戦、1915年日本は対中国21箇条の要求を突きつけ、1919年5月4日学生による五四運動による反日運動が起き、次第に全国に広がっていった。そして芥川がまだ中国にいた1921年7月に、上海で密かに中国共産党が成立している。芥川が来た頃の上海は、反日運動と、労働運動が激しくなりつつある時代で、治安は決して良くはなかった。
芥川は、上海到着後乾性肋膜炎に罹り、約三週間、上海の里見病院に入院する。その後、上海、江南、長江、櫨山に至り、武漢、洞庭湖から長沙、北京、朝鮮を経て、7月末に帰国している。帰国後、8月17日より、大阪毎日新聞に、まずは「上海游記」を掲載する(9月12日完結)。翌大正11年、30歳の龍之介は、1月1日から、同新聞に、「江南游記」を掲載し、2月3日に完結している。この「江南游記」では、杭州の西湖については、上海から杭州に行くまでの車中の情景、杭州の一夜(上・中・下)、そして西湖の景色(一)~(四)で纏めている。
僕が、中国四大美人の一人である西施という名前を見たのは、高校生の時だった。芭蕉が、『奥の細道』の道中、象潟で詠んだ、【象潟や 雨に西施が ねぶの花】という俳句を教科書で見た時、西施って何、何故ここに西施なのと、思ったのだ。象潟は、太平洋側の松島に対する日本海の名勝であった。その美しさを、美人にたとえ、松島は笑顔の明るい美人、それに対し、象潟は、憂いを含むしっとりとした美人と表現したと、その後見たあんちょこに書いてあった。実は、その時に初めて僕は、西施と言う美人を知ったのだ。
中国四大美人と言えば、西施のほかに、貂禅(閉月美人)、王昭君(落雁美人)、そして楊貴妃(羞花美人)がいる。 西施は、春秋時代と言うから、紀元前5世頃、呉越が争う中、越王から呉王に献上された人である。魚が泳ぎを忘れるほどの美しさから、「沈魚美人」と呼ばれる。西施の使命は、呉王夫差に政治を忘れさせ、莫大な浪費をさせるためであるから、当然に、美人でなければならないが、男の気をそそるには、やはり、憂いを含むしっとりした雰囲気をも必要であったのだろう。
余計なことだが、美人と言えども、欠点はあるもので、わが愛する西施は、大根足である為、彼女のスカートは丈が長かったと言われている。楊貴妃は腋臭であるため、一日に何回も風呂に入っていたし、王昭君は撫で肩、貂禅は耳がとても小さく、いつも大きなイアリングをつけていた、と言う話もあるようだ。
その西施(西子)と西湖との関係を探してみた。まずは、西湖に蘇堤を造った蘇東坡(蘇軾)の【湖上に飲む。始め晴れ、のち雨】の後半で、「西湖をとりて西子に比べんとすれば、淡粧、濃抹、すべてあいよろし」(西湖の美しさを傾国の美女西施に比べてみよう。薄化粧しても、厚化粧にしても西施は美しかったと言うが、西湖も晴れの日も、雨の日も、私にのびのびとした気分を与えてくれる)という七言絶句を見つけた。
もうひとつは、蘇東坡(蘇軾)の前記の七言絶句を受けて、やはり同時代の陸游が詠んだ【湖中微雨、戯れに作る】の後半で、「言うなかれ老子一人の振り向く無しと、なお得たり西施が淡粧をなせるを」(歳をとると誰も相手にしてくれない、などと言ってはいけない。薄化粧をした西施のように、西湖が慰めてくれたよ)という七言絶句も見つけたのだ。
この二作品を読むや、僕は、意気揚々と、西湖への旅に出かけた。
芥川は、上海から杭州までは,病み上がりの身を、一等のコパートメントに乗り、鉄道で出かけている。正確にはわからないが、少なくとも6,7時間は掛かったのだろう。午後7時頃に杭州の駅に到着し、早速税関による荷物検査がある。中国であって中国でないという当時の上海がおかれた国際情勢が、ここからも読み取れる。
一方、僕は、スーパーモダニズムの駅舎である上海南駅を9:30発の和階号動車組列車で出発し、11:15に杭州に到着した。途中、大規模な高架橋の工事が進められており、何の工事かをたずねると、上海からの高速鉄道の工事だという。今年の10月の下旬に完成するそうだが、時速350キロで走るので、約40分で上海から杭州に着くそうだ。杭州駅は相変わらずの賑わいである。もちろん税関の検査などは、今は無いが、タクシー乗り場は、人で溢れている。しかし、このタクシー乗り場に入ってくるタクシーは、僅かである。一体何時間待てばよいのか。迷うことなくバス乗り場に向かう。ホテルに近いバス停の名前を聞き、その路線バスに乗り込む。幸いに乗客は少なく、言われたバス停で下り、宿泊先のホテルへは、荷物を引っ張って向かう。
芥川は、税関検査が終わると、駅前に待機する大勢の客引き(芥川は“宿引き”と書いている)に迎えられる。宿泊する新新旅館の客引きを探すのに時間がかかり、やっと駅から人力車に乗り、城内の狭く、かつ真っ暗な凸凹道を走り始める。「これが城外の町、突き当りが西湖ですよ」と言う案内人の声に前方を眺めるが、闇夜が見えるだけであったが、しばらくすると、薄明るい水面が現れてきた。茫々と煙った水の上には雲の裂けた中空から、幅の狭い月光が流れている。その水を斜めに横切ったのは、蘇堤か白堤に違いないが、銀と黒に輝く光景を堪能している。しかし、次第にお腹も空いてきて、不機嫌になっていくが、旅館らしきものは一向に見えてこない。
新新旅館は名前の通り、西洋風のホテルである。しかし“東洋人”と見くびったのか、と憤るほど、坐ったまま西湖の見える部屋(レイクビュー)でなかったことや、その部屋の狭さにも不満を持ったようだ。取り合えず、食事を早速注文したのだが、食堂はもう締まったので、西洋料理は出来無いと言われ、已むを得ず頼んだ中華料理も、食い残りものを集め、それらしく見せる料理だと言われる「全家宝」ではないかと疑うのである。いずれにしても上海に来て早々病気になり、その上、杭州初日目の間の悪さに、些か拗ねたのか、この後の旅では、芥川は、かなり厳しい評価をしているように思える。
僕は昼食を軽く済まして、まずは西湖あたりをうろつく事とした。その移動方法を考えたのだが、結局、近くの貸自転車の事務所に行き、200元の保証金と、100元の前払い使用料を支払い、プリペイドカードを購入した。このカードでバスも乗れるそうだ。自転車は1時間以上連続して乗っていると有料になる。しかし、西湖周辺に沢山ある専用の駐輪場に、カードでチェックして自転車を1時間未満に返せば、何回繰り返し借りても、料金は掛からないのである。結局僕は2日間、何回も自転車を換えながら、西湖の周り約15キロを回ったのだが、駅までの往復の交通費以外は、掛からなかった。
まず僕は、自転車で、芥川が泊まった新新飯店(彼は新新旅館と言っているが)に向かうことにした。ホテルから西に向かい、西湖に突き当る手前を右手にとり、北山路を走る。この道路沿いは、三評西湖十景のひとつ【北街夢尋】である。北は、山側となり、南は、西湖を白堤で仕切った北里湖に面している。霞が掛かっているのか、白堤は鈍色に輝き、セピア色の世界である。そこから近くの山側に、1920年代の代表的な中西様式の建築である 「抱青別墅」(北山街38~40号)がある。更に西に向かうと、クラッシカルな3棟の洋館が見えてきた。新新飯店である。昼間は交通量が多いため、写真を撮るのを諦め、暫し、芥川のここでの行動を想像していたのだ。シャングリラホテルの方向に向かおうとし、少し力を入れてペダルを踏んだら、自転車が空回りしてしまうのである。結局、自転車を引きながら岳廟前まで歩くこととなった。ついでに、岳廟を覗いたが、特に興味をそそるものはなかったが、ただ岳飛の政敵の秦檜らに対して、今も延々と続く、中国人の憎悪の深さと激しさには、正直驚きである。
岳廟前の専用駐輪場で、自転車を乗り換えた。この後、北山路に接面するシャングリラホテルの前あたりから白堤に入り、西冷橋の手前右手に、唐代に銭塘の名妓と言われた、蘇小小の、土饅頭に漆喰をかけた墓がある。 そして西冷橋を渡った左手に、あの「秋風秋雨愁殺人」の詞と共に、革命に殉じた鑑湖・秋瑾女史の、右手で刀を持った立像がある。死んだら、西湖の見える場所に墓を建てて欲しいと言う 秋瑾女史の意志に基づき、友人が建てたと言う話だ。僕は、秋瑾さんのこの凛々しい立像がとても好きだ。
芥川は、蘇小小の土饅頭に漆喰をかけた墓が、荒れ放題に荒らされているのを、がっかりしてみている。おまけに、その前にある西冷橋の上で、中学生が2,3人反日の歌を歌っているのを聞き、慌てふためいて、橋を挟んだ左手にある秋瑾女史の墓を一見して早々に舟に戻っている。
僕は、再び新新飯店近くに戻り、西湖新十景のひとつ【宝石流霞】である宝石山に登ることにした。新新飯店の裏手の坂道を自転車を漕ぎながら走っていると、雨粒が落ちてきた。麓の石段の手前で、自転車を置き、石段を上り始めた。小糠雨に降られながら石段を登って行くと、両側の竹やぶの若葉は次第にしっとりと艶かしくなっていく。石段を上がるにつれ、西湖が樹々の間から見え隠れしてくる。時々立ち止まり、西湖を眺めていると、西施の声が何処からか聞こえてくるような錯覚に陥っていく。雨が止んだ山上で、まずは【宝石流霞】の石碑を、そしてその向こうに、保俶塔(1933年再建)がその細身の姿を誇示するかのように、婉然と建っているのを見つける。 宝石山から西湖を望むと、紅を深めて落日が消えた後も、薄絹で覆われたような薄明かりの中に、白堤が見え、断橋も錦帯橋も霞んで見える。その遥か先には、幽かに雷峰塔の輪郭が見える。やがて消えゆく様を、身を清めるような喜びを感じながら眺めることができる、まさに春の夕暮れの、その瞬間であった 。
僕は、西湖に行けば、白堤にある老舗レストランの楼外楼での食事を、いつもの楽しみにしている。込み合うシーズンでもあるので、急いで下山し、向かうこととした。北山路を東に向かい、白堤に入り、断橋を渡り、錦帯橋を渡る頃、先ほどまでいた宝石山が、ライトアップされていることに気がつく。このあたりは【平湖秋月】と言われる西湖十景のひとつであるが、如何せん、今は、時が春である。白堤に立ち、見渡せば、西湖の周りは、順次灯りで浮き上がっていく。その状況を写真に撮りながら、他方では、食べることに卑しい僕は、楼外楼の席の確保を心配していたのだ。予想通り、楼外楼の前はごった返していた。2階のテラスに席が確保できるという案内に従い、2階に上がる。既に店内では、賑やかな宴会が始まっていた。
芥川は、舟で楼外楼に来て、店の前の槐の下で、昼食をとっている。
僕は、早速、菜単を見て注文する。冷菜はもち米を詰め蒸した甘いレンコンの【西湖蜜藕】、豚肉料理は蘇東坡が愛した【東坡肉】、スープは【宋嫂魚羹】、そして西湖名物、西湖で取れる淡水蝦と銘茶龍仁茶を炒めた【龍井蝦仁】、今が旬の【雪菜春筍】、食後のデザートは【東坡酥】と言う甘いお菓子、そして老酒は、少し甘口か、ここの料理に合う特注【宋嫂特醸】である。
時は今まさに【春宵一刻値千金】、何となく、そわそわと、そして生き生きと感じられる頃である。老酒を、飲みながら、わが西施のお出ましを待つばかりではあったのだが。
春の夜や 西施微笑む たまゆらに
芥川は、翌日、ホテルの前の桟橋から画舫に乗り、西湖の見学に出かけている。当時の湖畔の道路事情や、乗り物の状況から見て、ほとんどが舟での見学であった。画舫とは、美しく飾った遊覧舟と言うことになるが、芥川は、白木綿の日除けを張り、真鍮の手すりがついた、平凡極まりない小舟だと言っている。
西湖の水位はとても浅く、放っておくと干上ってしまうようで、これまでに幾度も水利工事などがなされてきた。芥川は、まずは白楽天が作った白堤の錦帯橋をくぐり、進路を右にとり、弧山に着く。西湖十景の【平湖秋月】に到着したのだが、僕と同じく、晩春の頃では致し方がないと諦める。弧山は、大きいだけに俗悪な門や白壁が続いているだけだと酷評している。
岳廟に向かう舟の中で、芥川は、西湖を、春寒をおそれる中国美人に例え、いたるところで見れる赤と鼠の二色の俗悪恐るべき煉瓦建てのために、西湖美人は傷つき、更に江南一体の景色はことごとく破壊されていると嘆くのである。蘇堤に架かる跨虹橋を渡り、やはり西湖十景のひとつである【曲院風荷】に入ると、煉瓦建がなく、白壁を囲んだ柳に、桃の花が咲き、青々と苔蒸す玉帯橋が水面にぼんやり映る景色には満足している。
冬から解放された【春の朝】の気分は、格別のものがあろう。見慣れ慎ましい日々にも、何やらささやかな秘めたる喜びを感ずるものだ。ましてや、見知らぬ春の朝の西湖には、西施との出会いへの期待に、興奮したのか、明けようとして、未だ暗い、暁闇に、僕は目が覚めてしまった。
【春眠暁を覚えず】、妻問婚時代は、暁(鶏鳴)とともに男が女のもとを去った後朝(きぬぎぬ)の別れがあった。もちろんこの風習などがない今は、暁と曙の区別する必要がなくなったといえよう。
春曙 夢にうつつの 目覚めかな
目は覚めたものの、ベットでうつらうつらしていたために、気がついた時には、外は朧げにも風景を見ることができる曙の頃となっていた。急いで起き上がり、ホテルの前の駐輪場で、良さそうな自転車を選び、西湖に向かった。昨日交通の激しかったために、写真を撮ることの出来なかった「抱青別墅」の写真を写した。新新飯店でも、車の走っていない北山路に出て写真を撮り、その後、振り返って湖面越しに、早朝の白堤、断橋なども写した。そして蘇堤に向かった。
蘇堤は、西湖十景の【蘇堤春暁】である。暁を楽しむには時間が少し遅すぎたようであるが、早朝の散歩を楽しむ人、走る人、朝からおしゃべりを楽しむ人などにも出会うことが出来る。蘇堤は、白や紅色、そして八重などの桃の花が満開であった。左手には西湖、右手には西里湖があり、観光舟なのだろうか,漁師舟なのか、早朝から多くの舟が蘇堤にある望山橋などの橋下を通過して行き来している。望山橋の左手先方に【三潭印月】が見える。その橋桁近くに、隋の煬帝が愛したと言う「琼花」を見つけた。この花を見たいがために、煬帝は京杭大運河を築造させたとまで言われるほどの花である。現在は揚州の市の花となっているそうだ。斜め左前方に雷峰塔の姿がはっきりと見えてきた。西湖十景の【雷峰夕照】である。17世紀の初頭、この西湖も日本の倭寇に攻められたと、案内書には書いてある。当時この雷峰塔が見張台の代わりをしていたので、倭寇はこの塔を破壊しようと、火をかけたため、赤レンガ製造が始められる前に、この塔は赤レンガになったと言われている。実は、芥川が見た雷峰塔と、僕が見た雷峰塔とは別のものである。芥川が見たのは、1921年、その3年後の1924年に雷峰塔は倒壊している。2000年に今の雷峰塔が再建されているのだ。
僕は雷峰塔を横目で見ながら、南山路を自転車で北上した。この一帯の湖畔には、柳が沢山植えられており、しだれ柳の新芽が、風にゆっくり揺れるのが、御簾のように見え、やがて西施が奥から現れるのではと、一瞬心をときめかせたのだ。この時間になると、湖畔沿いの公園は結構人が出ており、散策やダンス、健康運動などをグループに分かれて、楽しんでいる。水辺には渡り鳥なのか、水鳥が賑やかに泳いでいる。風に揺れる柳の新芽をかき分け、小鳥の賑やかな鳴き声を聞きながら、公園内を更に奥へと歩いて行くと、次第に清清しく、長閑な気分になっていくのである。まさに春爛漫である。地図で現在位置を探してみると、西湖の東岸にある公園で、西湖十景の【柳浪聞鶯】であった。
公園の表側の道路沿いには、新しい感覚のレストランなどが並んでおり、夜などは結構賑やかな場所なのだろう。更に北上すると、その先に市街地のビルが見え始めてきた。三評西湖十景の【湖浜晴雨】涌金門の公園では、赤いユニホームを着て、小太鼓を体につけた女子団が厳しい練習をしているのを、休憩をしながら、ベンチに座り眺めることにした。ところが、早朝から激しい叱責が飛ぶ練習をボーット見ている自分が、何故かとても恥ずかしく感じてきたので、公園を早々に退出した。
ホテルには午前9時半頃に戻ってきた。直接2階のレストランに行き、朝食をとることにした。適度な運動に、お腹も空き、久しぶりに旨い朝食をとることが出来た。
白楽天が、3年の任期を終え長安に戻る時に詠んだ七言絶句【西湖留別】があるが、【処処、頭を廻らせば、ことごとく恋うるに堪えたり、就中、別れ難きは是れ湖辺】と、一番別れが辛いのは、西湖のほとりだと言っている。僅か2日間しか滞在しなかった僕でさえ、なぜか別れ難き思いに陥いっていくのである。
【旅行時期】2010/04/~2010/04/
【エリア】
杭州
【テーマ】
【投稿者】
彷徨人
【湖南省】 桃源郷・張家界 * 世界自然遺産・武陵源に遊ぶ(by 彷徨人さん)
わが嘆き われ知るときぞ 夏来たる
もう何年前であろうか。湖南省に、毛沢東が生まれた韶山、師範学校時代の長沙を訪れたことがある。その後、わが鑑湖巾幗秋瑾女史も、湖南省とは縁があることを知ったのだ。再び湖南省を訪れる機会があれば、今度こそ秋瑾女史の足跡を訪れようと、機会をうかがっていた。そして今回、世界自然遺産の張家界にある武陵源が、湖南省に属しているのを知り、少し大回りではあるが、秋瑾の縁の地である湘潭、常徳を回り、桃源郷を経て、張家界に行く計画を立てたのだ。
【湘潭・常徳】
鑑湖巾幗秋瑾女史、と言っても、多くの日本人は知らないのではないか。かく言う僕も、10余年ほど前に、紹興に魯迅の故居 を訪ねた後、ガイドに、秋瑾故居も見学しませんかと誘われ、何者かは知らないままに、訪れた。入って直ぐの部屋の壁に、ひさし髷を結い、白と紫の矢絣の単衣に、紫袴の和服姿の女性が、抜き放った短剣を握っている写真を見つけた。この写真が、日本留学時代の青山実践女学校の制服を着た秋瑾さんだったのだ。最初は、和服姿と、穏やかな理性的な雰囲気に、日本人だと思い込み、日本婦人が何故此処にとの疑問を思いながら、中国語の解説文を拾い読みしていた。帰国後、秋瑾さんに関連する本を読み、積み上げていくうちに、空海さんと並び、“わが中国の旅”の原点となるべき人となったのである。
我が愛する秋瑾さんは、紹興酒で有名な紹興の挙人の名家に、清朝末期に生まれ、湖南省の富豪に嫁ぎ、二人の子供をもうけ、北京で生活を経て、1904年5月に、夫の反対を押し切って、日本へ留学したのである。当然に当時の良家の子女であるから、秋瑾は悪しき慣習の纏足であった。当時日本では、中国留学生を中心とする清朝打倒への運動が盛んであり、彼女も次第に女性解放と革命への道へと突き進んでいくのである。同郷意識の強い中国では、革命運動もそうした同郷の連携が強く、当時、革命に奔走する留学生の中で、特に、秋瑾さんの実家のある浙江省と、嫁ぎ先のある湖南省出身者も多くおり、当然に、秋瑾も彼らの影響を次第に受けていくのである。革命のための資金を得るために一度中国に戻るのだが(一説では、子供と乳母を連れて留学していたが、革命に邁進するために、子供と乳母を夫の実家に連れ帰ったとの話もあるが)、直ぐに日本に戻ってくるのである。しかし、1905年12月に、日本政府の中国人留学生の取り締まり強化に強く反対して、大勢の留学生と一緒に中国に帰って行った。帰国後は、いよいよ革命運動に本格的に奔走し始めるのである。しかし、1907年6月6日、蜂起は不発に終わり、逮捕され、翌日早朝、故郷紹興の軒亭口で、31歳の若さで斬首の刑に処せられた。それは辛亥革命が起こる4年ほど前のことである。取調べに対して、一切口をきかず、『秋雨秋風愁殺人』(秋雨秋風、人を愁殺す)と、紙に書いただけと言われているが、これは、少し劇的な話ではないだろうか。
これまでに、留学先の東京はさておき、祖父の任地であり、生まれ育った福建省のアモイ湾に浮かぶ租界地であったコロンス島をくまなく歩き回り、結婚後夫の勤務地である北京の胡同での生活を輪タクに乗り偲び、日本より帰国し、女学校教師として赴任した湖州を春節に訪れ、革命に目覚め、次第に奔走していく姿を、彼女の故郷である紹興の街角で、臭豆腐を肴に紹興酒をちびちびとやりながら、酔いに連れ、幾重にも想像し、杭州は西湖畔に立つ、剣を持ち、彼方を見つめる彼女の石像の前に立ち尽くし、すっかり革命にのめり込み、密かに奮戦する姿を、上海の虹口に捜し求めてきたのだ。
そこで、今回の旅では、秋瑾の父の任地であり、少女時代の一時期を過ごし、結婚後7年ほど生活し、そして決起直前の1907年に、11歳の息子と7歳の娘との最後の別れに出かけて行った、湖南省の湘潭市にある嫁ぎ先の王家大院と、父の任地のひとつであり、やはり少女時代を過ごした常徳市を目指したのである。
王家大院は、湘潭市十八総由義巷にあるのだが、今は、周りは比較的賑やかな街であり、尋ねながら近づいたところは、バス通りから少し路地を入ったところに密集する低層の手入れの悪い建物のひとつであった。実は大邸宅であったが、日本軍の空襲で大部分は燃えてしまったと聞いた。それにしても、入り口の軒先には洗濯物が干されており、その入り口の扉は鎖で閉じられている。入り口の壁に、“秋瑾故居”と書いた文字がなければ、朽ちた状況からも、湖南の三大財閥といわれた王家の邸宅とはとても思えない。自転車で走ってきた人に尋ねると、もう何年もこの様な状態だと言う。中国のジャンヌダルクとも言われる秋瑾女史の故居として市が管理している文化財だとはとても見えない。しばらく、この家の前で立って外から眺めていたが、この外人は一体何を見たがっているのだろうと不思議そうな顔つきをして、近所の人は通り過ぎていく。しばらくこの廃墟のような建物の前に立ち、覚悟を決めるために、2人の子供に会いに来た秋瑾さんの気持ちを僕は想像していたのである。ふと見上げると、街路樹の泰山木に真っ白な一花が咲いているのを見つけた。しばし立ちすくむ身に、その芳香が微かに漂ってくるのである。五月闇の中の真っ白な花と仄かな芳香が、この廃墟を思うたび、いつも、とても印象的に思い出されるのである。彼女が処刑されて百年,歴史は遠くになりにけりということなのだろうか。歴史に学ぶということを大切にするこの国の、これもひとつの現実なのであろう。
その日は、常徳市に宿泊したが、此処では秋瑾の足跡は何も見当たらなかった。翌日は、さらに車で西に向かい、桃源郷を目指した。
旅なごり 泰山木の 一花に
【桃源郷】
世外桃源の桃源郷は、陶淵明の著した散文『桃花源記』に書かれた理想郷である。昔漢文の授業で始めてその話を聞き、北京の頤和園の長廊にかかる彩画で、始めて目にすることのできた、桃の花が一面に咲き乱れ、香ばしくも、美しくもある理想の村である。いわゆる隠遁思想から生まれた物語なのだろう。しかし、この地の桃源郷は、理想郷とは程遠く、思い出すも惨めな、俗世界であった。
【武陵源】
張家界市は、湖南省の北西部にあって、市の中央部にある“武陵源”が1992年にユネスコの世界自然遺産に指定されてから脚光を浴びてきた。張家界の由来は前漢の功臣張良は、劉邦が次々と功臣を粛清していくのを見て、この地で仙人になったという話から、その様に言われ出したとのことだ。これも白髪参千丈的な話だろうと思うのだが。王維が七言絶句で詠んだ架空の美しい地域をいう“武陵源”は、古生代に地殻変動と風雨の浸食により、作り出された峻険な奇岩台地である。朝起きると、遠くに見える不思議な曲線を描く稜線を見ていると、天上に住む仙人の気持ちとなり、その勢いか、左右の奇峰に見とれながら、ついつい1日二万歩近くも歩く毎日であった。絶壁に造られた世界最大のエレベーター(百龍天梯)に乗れば、次第に広がるパノラマに目を見張り、モノレールに乗り、奇妙な名前が付けられた奇峰の連なる自然の屏風の十里画廊を眺めて行くうちに,次第にこの地に溶け込んでいくのである。張家界の飛行場から見える峰の中央に大きな空洞が見える。それは天門洞だ。嘗てアメリカのアクロバット飛行隊がこの洞門を飛行機で飛び抜けたそうだ。7キロ余のロープウェイを降り、絶壁を走るバスに乗り継げば、この洞門への石段にたどり着く。その何百段の石段を上り詰めたところに、天空に向かうこの洞門があるだ。これこそまさに自然の妙と言えよう。
張家界は、少数民族の土家族が多く住んでいる地域である。彼らの料理は唐辛子や山椒を多く使い、葛を使った料理が多いのだそうだ。暑くなってくると、中国では特に衛生面での注意が必要となる。この地でも、まずは町のレストランを見に行ったのだが、蝿も多く、なんとなく信頼しがたい雰囲気が漂い、止む得ず、ホテルのレストランで連日食事をすることにしたのだ。
まずは、ここでも僕は、老酒の『古越龍山10年花雕』を注文。突き出しは、漬物風の『泡蘿蔔皮』(大根の皮のしょうゆ漬けに唐辛子をまぶしたもの)、メイン料理は、いつもの『清蒸桂魚』,スープは、『茶樹除オ炖龍骨』(お茶の木の茸と豚骨スープ)、それに副食は、『炖藕』(豚骨のだし汁で煮詰めた執拗に糸を引く蓮根)と、『酸包菜炒葛粉』(豚肉のような触感の葛きり入り野菜炒め)、デザートは、『葛根羹』(甘みの残る中華風葛湯)であった。(第49回)
表紙写真:天門洞(張家界の飛行場から見える峰の中央に、大きな空洞が見えるが、それが天門洞である)
【江蘇省】 楚州 * 円仁 入唐求法巡礼行記を辿る(Ⅲ)(by 彷徨人さん)
合歓ねるや 石の南船北馬が碑
この2,3年、土用の丑の日が近づく頃になると、なにかに駆られるような、穏やかならぬ心に急かされ、大陸の雑踏に引き寄せられていくのである。午後の上海行きの、空席の目立つボーイングに、いつもの通路側の15のC席を確保、2時間余後には、人の熱気と自然の暑さに蒸された上海の街角に立っている。
京杭大運河を北上し、南船北馬の上陸地点である江蘇省淮安市が、今回の目的地なのだ。馴染みのない町だが、市内楚州区には、“韓信の股くぐり”で有名な漢代の武将、韓信の生まれ育ったところがあり、ニートの韓信が終日魚釣りをしていたという場所も観光地点になっている。周恩来が子供時代に過ごした故居もあるが、祖父が進士の高級官僚であるから、まさに大邸宅である。
高速バスは、上海から蘇州を通り,無錫に至り、そこから長江(揚子江)に架かる江陰大橋を渡り、揚州に入る。さらに北に向かうと,左手に高郵湖が望まれ、この間転寝を重ねるまま、約6時間後、淮安市に到着した。
空海が後に語った長安への道のうち、この江南地区については、『運河を北上、太湖の東岸沿いに、蘇州、常州を経て、長江を渡り、揚州にいたる。“山陽とく”と呼ばれる運河を北上、高郵を経て、淮陰に至る』と、語っている。淮陰は現在の淮安市淮陰区である。さらにここから空海は、洪澤湖を西に見て南下、“くい県”のあたりで,淮河を渡り、淮河と黄河を結ぶ運河である“べん河”(通済渠)に入り、開封に向かっている。
また、天台宗三代座主円仁は空海に遅れること約35年後の838年に入唐、そして9年間中国の各地を旅し、『入唐求法巡礼行記』という日記を書いている。円仁は遣唐使の一員としてこの地を通り長安に、そして帰国する一行と一緒に再びこの地を通っている。この後不法滞在しながら、師最澄の仏教求法の地での思いを偲びながら、五台山などの仏教の霊地を回るのだが、滞在9年間に幾度もこの地を通っていたのではと思う。この日記では、この地を流れる淮河を“東海に導く一大横断路”と述べており、大運河と淮河の交わる楚州(現在の淮安市楚州区)一帯が交通の要衝であったことがわかる。
空海も、円仁も、そして宋代に、還暦すぎてから、中国に出かけた成壽(醍醐天皇の曾孫,阿闍梨、1072年宋朝治下の中国に行き、1081年中国で71歳で入滅)も、歴史には残らぬ多くの同胞達も、これからの出来事を想像しながら、時に大きな期待に胸を弾ませ、時に聊かの不安に陥りながら、この運河を船で通ったことであろう。日本からは、中国のどの海岸線に着こうが、長安へは、恐らくここを通って行かなければならないという、まさに長安への道であったろうと、想像するのである。
成壽の日記“参天台五台山記”を孫引き的に眺めたのだが、その中で、中国の当時の社会システムについて、多く書いている。この地を南北に貫く大運河についても、いろいろと記録している。運河のシステムについて、たとえば運河の堰や閘門などの土木技術についても克明に書いている。そこには、水路を旅するときに、堤防の上に設置された鉄製の牛についての記録があるのだが、それは、一体どのような牛で、何のためにあるのかは特に説明がない。実は僕は、この本を読んだ後に、その鉄製の牛のことが妙に気になったのである。そこで、この旅での最初の目的地として、この鉄牛を探すことから始めたのであるが、しかし、なかなか見つけることは出来なかった。
翌日、洪澤湖の水位を調整する水路の第一水門の脇で、“鎮水鉄牛” をやっとのことで捜し求めることが出来た。水位上昇の警戒警報が発令されているのも知らず、水路管理局で、暢気に鉄牛の所在を尋ねる日本人に呆れたのか、それでも女性係官がわざわざ案内してくれた。水門の脇の階段を降りると、台座に座る重さ4トンの鉄牛に出会ったのである。
ここより上流の黄河では、浮き橋の鎖留めに鉄牛は使われていたようだが、この地方では嘗ては、堤防の上に設置されており、牛は易では大地とみなされ、そして水とも関係が深く、鉄は水を避けるとされていることから、鉄の牛は大地の安寧と鎮河水、すなわち河川の氾濫忌避を願う象徴であったようである。成壽はもちろん、空海も円仁も、このあたりを舟で通った時に、堤防の上にあるこの鉄牛を見て、きっと安心して旅したことであろう。今では鉄牛はこの地方では、たった2頭しか残っていなく、僕が見たものと、もう一頭は省の博物館に陳列されているとのことだ。僕の中国の旅の本来の目的は、嘗て日本人が中国を旅したその地を追っ駆けることであるが、今回はこの鉄の牛を見つけたことで、その目的を果たしたような気になってしまった。
この後は、この地方の料理を心置きなく食べ歩くことにした。ちょうど土用の丑の日の近づく頃でもあるので、まずは、この地方の”うなぎ料理”を注文した。うなぎを背開きして、大蒜を入れた炒めもの(軟兜長)、見た目よりは、あっさり味である。もちろん日本語の”鰻”とは異なり、”魚偏に善”の字を書く”田鰻”のようであるが。続いての注文は、豚肉団子と水中植物の茎入りスープ(肉元蒲菜)、この地方のお豆腐料理で、別名”西施豆腐”と言われ、近くの揚州にたびたび行幸した清朝乾隆帝の大好物であったという、賽の目きりの豆腐に、微塵きりした香菜や青大蒜を入れ、河えびほかと一緒に炒め、最後に片栗でとろみをつけた豆腐料理(平橋豆腐)、そして、上海蟹の濃厚な油で炒めた具とスープ入りの団子、ストローを突き刺して、中のスープを飲むのである(蟹黄湯包)。これが気温36度の楚州区のレストランでお昼に食べた料理である。この地方の味付けは、揚州料理に近いようだが、私には少々塩辛かったが、日本人好みの比較的淡白な味といえよう。(第48回)
表紙写真:淮安市の運河の船着場近くにあるに“南船北馬”の碑
ある意味贅沢かな in 高雄(by まあちゃんさん)
8日に台北―左榮間のチケットをあらかじめ買っておいた。
11日の二時半頃にホテルへ帰るとロビーでマイフレさんも
日本から来られていた。
三人で部屋に入り高雄行の荷造りをして出発だ。
ホテルを三人で三時に出たらゆうゆうだと思って出発したのである。
MRTの松江南京から忠孝新生で乗り換えて台北駅へ。
MRTから高鉄へは相当の距離がある。そして慣れてない。
走りながら行って3分前に3時半発の台湾高鉄に乗車出来た。
電車内で40元のコーヒーを飲んでだべっている間に左榮へ到着だ。
そして高雄MRTに乗って美麗島駅に。
そこから又迷いながら何とか11番出口へ。
出た所が六合夜市の始まりの場所だ。そしてホテルへ。
今までは一泊780元だったが800元に上がっている。
それにしても安い。それも朝食付きだ。
今回の高雄行の目的である高雄のマイフレと彼女とを交えての食事である。
場所は彼女が決めたとか。6時半に車で迎えに来てくれて5名での食事へ。
『老四川』と言う鍋料理の店だ。
安くて美味しいと言う評判で予約をしないと大変だと彼女が言っていた。
鴨の血を固めたレバーもどきと焼豆腐は時間制限があるがいくら食べても無料だ。
他に牛肉と豚肉も大皿に一杯来たが飲み物も入れて一人300元だった。安いです。
ホテルまで送ってもらって別れる事に。
そして三人で六合夜市へ散策に。
12日は10時半のチケットを買っているが少しでも早い台湾高鉄に替えて台北にと左榮駅で変更を。
買った時の敬老証明が私のパスポートと友夫婦の証明書であった。
変更時には日本のパスポート三冊渡したのだが買った時と違うと言ってる様だ。
つたない台湾華語で事情を説明したら何とか通じた様で一時間早い9時半のチケットと変更できた。
これからは手続きがややこしいので変更は控えた方が良さそうだ。
考えてみたら夜ご飯を高雄まで食べに行っただけの夜だった。
でもマイフレとの交友は果たせたので満足だ。
ある意味贅沢な食事となった。
写真:店の前での集合写真
【旅行時期】2011/04/11~2011/04/12
【エリア】
高雄
【テーマ】
グルメ
【投稿者】
まあちゃん
中央アジア、ウズベクの足音(by 風のヨータローさん)
関空より直行便でウズベキスタンの首都タシケントへ。タシケントはソ連時代の面影を残す町。広い道路に適度な街路樹、煉瓦つくりの建物が整然としている。飛行機が遅れ、タシケントで夕食のはずが到着は深夜になった。翌日タシケントからサマルカンドまで列車の旅。広軌のレールはかなり広い。新幹線より広そうだ。7Hの旅はゆったり進む。窓外は赤茶けた大地が続く。それにしてもウズベキ人は親日的だ。他のアジア諸国のように日本軍が暴れまわってないからか、ODAの成果か、しかしロシアに抑留された日本人の墓地はここにもある。サマルカンドは青い都。青いタイルが張り詰められたモスクやミナレットは見事だ。ここは回教国だが、女性のほとんどは顔を出し、たまには豚肉を食べるらしい。けっして敬虔なムスリムではないと思う。ウズベク人の売り込みはやはりあるが、そんなにしつこいとは感じなかった。街道のなかで育んだ商い勘があるのか、一部を除いて適度に諦めてくれる。エジプトやインドほどではないのは助かりだ。あとシャハリリーブス、ブハラ、ヒバなどお決まりの世界遺産巡礼の旅に出かけよう。
2011年3月 兵庫・赤穂城趾(by びゅうさん)
神戸の友人宅の帰路、夜の大垣発「ムーンライトながら」乗車までの
時間を、かねてから行ってみたかった「赤穂城趾」行きへと決行。
JR住吉駅から播州赤穂駅まで、約1時間30分ちょっと。
駅を出ると、町並みからして城下町の景観。
赤穂城趾までおよそ徒歩で15分程。途中「息継ぎ井戸」を見学して、
「大石邸長屋門」→「大石神社」→「赤穂城趾」へと進む。
城趾には、かつてお城だった間取りが再現してあり、なかなかの
工夫が面白い。
ひとしきり見学した後、駅への帰り道にある「かばくろ 赤穂店」
で昼食。
http://r.tabelog.com/hyogo/A2805/A280502/28028953/岡山に本店がある豚蒲焼きのお店。
メニューを選んでいると、「初めての方でしたら、豚かば重がおすすめ
ですよ。」と声をかけて下さったので、「豚かば重」を注文。
蒲焼きのたれだけれども、豚肉にも良くあってとてもおいしい。
途中で店員さんが「辛いのが苦手でなければ、わさびをつけて食べると
美味しいですよ。」と進めて下さるので、わさびをつけて食べてみる。
風味が変わってさっぱりと食べられる。
値段も懐にやさしく、赤穂の旅はさらに大満足。
mineralへの想い HAJIME RESTAURAN ハジメレストラン大阪 フレンチの最高峰(by marukunさん)
大切なもの
大切なことへの想い
大切なことを あたりまえのこととして近づけること
変わらないもの
そして
次のステージに進む時に必要な変化
そんなことを学び
共感するために
娘たちを誘ったレストラン
HAJIME RESTAURANT GASTRONOMIQUE OSAKA JAPON
mineralへの想いの章
大げさだけど 自然を想い 地球を想い
そして、自然の苦しみと闘うひとびとに少しでも
少しでも近づこう
そして愛する人を失った悲しみに少しでも少しでも近づけるように
ひとりひとりの人生を想おう
つながろう
がんばろう 東北 ニッポン 私たち
**************************************************************
かぶら、姫人参、ズッキーニ、白菜、金芯菜、ミニアスパラ、カリフラワー、ブロッコリー、四角豆、紅芯大根、オクラ、アピオス、ペコロス、インゲン豆、キヌサヤ、モロッコ豆、スナックエンドウ、牛蒡、キャベツ、チンゲン菜、マコモ茸、蓮根、金美人参、アスパラ、白人参、とんぶり、フェンネル、蕎麦の実、トマトクーリ、ビーツ、レンズ豆、胡瓜、ニンニクの芽、辛味大根、南瓜、パプリカ、セルバチコ、水菜、赤からし水菜、ベビー小松菜、レッド小松菜、フレンチソレイユ、ミント、ワサビ菜、クレソン、イタリアンパセリ、マーシュ、デトロイト、ダンデライオン、セルフィーユ、蕎麦菜、ディル、豆苗、エストラゴン、スプラウト、シブレット、芽ジソ、菊、エディブルフワラー、ゴマ、オリーブ、オゼイユソース、柚、キャベツの芽、ツリーマスタード、グリーンルバーブ、玉葱
mineral
66種類の野菜を使ったスペシャリテの1つ。
ランチは64~68種類だが、ディナーで100種類の野菜が使われている。
冬場は根野菜が多くなる等、使われる野菜の種類は季節毎に異なる。
火を通す野菜には、それぞれの野菜に適した下処理を施した後、茹でる、有塩バターと無塩バターを混ぜ合わせたバターで炒める等している。火入れの方法も、赤外線や炭火を用いる等工夫されている。
中温で温めため野菜にオリーブオイルを掛けた後、低温で温めた野菜や生の野菜、アサリのエキスのみを抽出したブイヨンがベースの泡を上に乗せる事によって蓋をし、野菜の香りを立てている。
サーヴされた時に、野菜が中心の皿とは思えない程に、食欲を誘う香りが鼻を擽るのはそのため。
アサリの泡も、泡がすぐには崩れない様に一工夫されている。アサリのエキスのみを抽出しているのは、貝のミネラル成分は、水に溶けやすい為。料理名のミネラルは、大地のミネラル分である野菜と、海のミネラル分である貝のソースを併せた一皿から。
ソースは、柚の丸々1個の果汁と皮を使った、ヴィネグレットソース。
皿の周りのピューレは、左上から時計回りに、赤ピーマンのピューレ、ベーゼルナッツオイルの入ったカボチャのピューレ、ニンニクの芽が乗ったトマトのピューレ、ビーツのピューレ、酸味の利いたオゼイユのピューレ。
温野菜と生の野菜を組み合わせた食感と温度差が面白く、牛蒡や蓮根等の根野菜の歯ごたえ、姫大根や辛味大根のシャリシャリ感、クレソンや水菜のシャキシャキとした食感が口の中でハーモニーを奏でる。
とんぶりやレンズ豆の粒々感や、ディルやセルフィーユのハーブの風味と苦味、セルバチコや赤からし菜の辛味、周りのピューレの野菜の甘味も印象的。アサリの泡は、透き通った味わいで旨みの塊。ほんのりと塩味を利かせてある。
このアサリの泡と野菜を一緒に食べると、貝の旨みが加わり、より奥行きのある味わいが楽しめる。柚のソースは、後味に残る柑橘類の酸味が、爽やかさを演出している。
ビーツのピューレは、蕪の甘味がたっぷり。
カボチャのピューレは、カボチャのポタージュをそのままピューレにした様な味わい。トマトのピューレは、ガスパチョをピューレにした様な味わいと舌触り。
トマトの酸味の中で、上に乗ったニンニクの芽の歯ごたえと旨みが心地良い。オゼイユのピューレは、爽やかなハーブの酸味を利かせている。菊やパンジーの花で彩りを添えたり、姫大根の蓋を開けると、中から麦が登場したりと、盛りつけも一工夫されており、味わいだけでなく、目で見て楽しませて貰える。これだけ沢山の種類の野菜が使われていると、一口毎に味わいが異なり、野菜だけの一皿とは思えない程の満足感がある。
サーヴされた後どの野菜同士を組み合わせて食べるのか?最後はゲストの手に委ねられる。
どの野菜を組み合わせても美味しくなる様に、60数種類又は100種類の野菜の調和が満足の行く物に成るまで、試行錯誤を繰り返すそうだ。季節によっても使われる野菜の種類が異なってくるため、その作業は延々と繰り返されていく。この料理を目当てに、レストランを訪問するだけの価値がある一皿だ。
foie gras au naturel
フォアグラの本来の味を表現すべく、蕗の薹に使われていたのと同じ焼き塩のみでシンプルに調理したファグラのテリーヌ。風味や味わいを損ねない様に、0.1℃単位で温度を調整しながら、40分間掛けてゆっくりと火入れしている。テリーヌにする前に、塩胡椒等でマリネにはしていない。フォアグラに血の入った血管が残っていると、味ににごりが出てしまうため、血管は綺麗に取り除いている。以前フォアグラの温度がほんの僅かの間3.7℃だけ上がってしまった事があったが、それだけでも全く違った味わいの料理になってしまうそうだ。
フォアグラの下には、サクサクのメレンゲとナッツの入ったクロカンノワゼットと、カボチャのピューレ。上には、ヘーゼルナッツ、大根のスライス、マンゴーのスライスが乗っており、マダガスカル産の黒胡椒が散らされている。ソースは、白ワインヴィネガーとノイリー・プラットを煮詰めたソース。
ノイリー・プラットは、白葡萄のピクプール種とクレット種が原料となる2種類の白ワインを、それぞれ別々にカナダ産のオークの大樽に入れて8ヶ月程寝かせ、次にフランス産のオーク樽に移し替え、南フランスの太陽の下で1年あまり熟成させる。夏場の樽内温度は50℃にも達する。太陽の熱、海風、冬の寒さでワインがゆっくりと変化する屋外での熟成が特徴の1つ。1年間で樽の中のワインは6~8%蒸発するが、これは天使の分け前と呼ばれている。再び大樽に移して、暗く涼しいセラーの中で数ヶ月間寝かせる。2年以上の熟成期間を経た後、2種類のワインをミックスし、天然葡萄果実から作ったミステルと言う甘味ワインを少量加えて、別のオーク樽に移し、オニアザミ、カモミール、コリアンダー、ナツメグ、ビターオレンジピール等の20種類のハーブを3週間浸漬させる独特の製法のリキュール。仕上げに、職人が6週間掛けて風味の調整を行っているそうだ。
焼き塩をしっかりと利かせたフォアグラは、ナチュラルな味わい。シェフは、内臓の甘味と脂のパンチ力の何れもが前面に出ない状態を、ピンポイントで狙って火入れしており、「フォアグラとは本来こう言う風味なのか!」と言う味わいが楽しめる。クロカンは、フォアグラに合わせるブリオッシュの様な役所。サクサク、カリカリの軽い食感で甘味が強い。ノイリー・プラットを煮詰めたソースは、蜂蜜の様に粘度の高い舌触りで、透明感のある甘酸っぱい味わい。マンゴーは、果物の自然な甘味をプラス。カボチャのピューレも合わせて、フォアグラと様々な種類の甘味との、組み合わせの妙が楽しめる。シャキシャキとした食感の大根は、そっけない味わいがサッパリ感を演出。独特の風味を持つマダガスカル産の黒胡椒は、唐突に味のリズムを変えるアクセント。フォアグラその物もかなりの旨さだが、全部を一緒に食べると、口の中で滑らかに溶けていくフォアグラのコク、内臓や脂の甘味、焼き塩の塩味、大根のシャキシャキ感、マンゴーの甘味、クロカンの軽い食感と甘味が口の中で一体となり、一層旨みが膨らむ。甘酸っぱい味わいのソースと、ヘーゼルナッツのコリコリっとした食感と豆の旨味が、全体の味わいを綺麗に纏めていた。
○pintade
茨城県産ホロホロ鳥の胸肉のロースト。
まずは、火曜日に入荷したホロホロ鳥に一度軽く火を入れた後、週末まで寝かせて旨味を熟成する。
次に、塊のまま炭火で表面に軽く火を通す→フライパンで皮目をパリっと焼き上げる→中高温のオーブンで火を通す→中低温のオーブンで火を通す→サラマンドルの天火で火を通す→最後にもう1度フライパンで皮目をパリっとさせると6段階の火入れを、火入れの角度にも気を遣いながら、合計2時間以上掛けて行っている。ホロホロ鳥の皮目には、機械をほとんど用いない伝統的な手法で塩職人によって造られるゲランドの塩が振られている。このホロホロ鳥への火の入れ方は、シェフの中でも、最近になって以前よりも1ランク上の火入れが実現出来たとの事。
今回は幸運にも、そのホロホロ鳥をメインで頂けた。
ソースは、チキンブイヨンをベースに、豚肉を加えたソース。
これは昔のベーコンを散らした鳥肉料理を、シェフ版にアレンジした物。ソースに、ベーコン的な香りが欲しいが、ベーコンでは風味が勝ち過ぎてしまう。
もう少しすっと来るラードの様な風味を加えたかったので、ラードを加えるよりも、豚肉その物の旨味を選択したそうだ。
付け合わせは、赤ワインヴィネガーとコリアンダーに漬けたエシャロット、レモン、玉葱、生姜の入ったレモンのチャツネ、蕪、山椒の葉、山椒のオイル、セリ、枝豆、低気圧を掛けてオリーブオイルを染みこませた小松菜の新芽。
肉や魚に味を染みこませる時は、圧力鍋等を使い、外側から力を掛けて火を通す事が多い。反対にコンビニで買ったパンの袋を山頂に持って行くと、袋の中よりも周りの気圧が下がるため、袋がパンパンに膨らむ。
つまり外に向かって力が解放された状態になる。
これと同じ状況を用いて、生の小松菜の新芽の外側の気圧を下げる事で、小松菜の細胞を広げ、浸透圧の関係でオリーブオイルを染みこませている。周りの気圧を戻してやれば、小松菜の細胞も元の状態へと戻る。この調理法を用いれば、食材に火を通す事なく、生の食感を残したまま味付けが出来る。
ホロホロ鳥は、食べた瞬間にあまりの旨さに驚かされる。
身の外側がパサつきやすく、しっとりとした食感を出す火入れが難しい食材の1つだが、この胸肉は、ササミ肉の旨味を濃厚した様な味わいと、中までしっかりと火が通っているのに、半生の鳥わさの様な、瑞々しさや艶めかしさを併せ持つ。
柔らかさと心地良い弾力とを兼ね備えた食感で、噛みしめると、サッパリとした旨味が口の中一杯に広がっていく。
塩味はほんのりと利かせている程度。皮目に振ったゲランドの塩の風味が、ホロホロ鳥の旨味を一層引き立てている。何も付けずに、ホロホロ鳥だけを食べてもかなりの旨さだが、ソースを付けて食べると、豚肉の旨味とコクが加わり、2種類の肉の旨味のハーモニーが楽しめる。ベースがチキンブイヨンのソースだけに、ホロホロ鳥との相性もバッチリ。この辺りは、シェフの狙い通りにピタリと決まっている感じだ。ここに、ボル・ビニャンの赤を合わせた味の膨らみは、ナイフやフォークを持つ手が止まらない幸せな味わい。
付け合わせの中では、オリーブオイルを染みこませた小松菜の新芽が面白い。
小松菜の風味と食感はそのままに、内側からオリーブオイルの味わいが溢れてくる。レモンのチャツネは、舌触りはチャツネ、イメージは酸味の利いたレモンその物と言った、ちょっと不思議な味わい。チャツネの甘酸っぱい味わいとホロホロ鳥との相性も良い。蕪は野菜の自然な甘味が、枝豆はクニクニっとした食感と豆の旨味が生きている。セリは、シャキシャキとした食感と苦味をプラス。風味の強いエシャロットや山椒は、唐突に味のリズムを変えるアクセント。エシャロットは、かなり酸味の利いた味わいで、水でさらした玉葱の様なシャキシャキ感を残してある。山椒の葉やオイルは、香りと風味が強く、強烈なインパクトを放っていた。ホロホロ鳥としては、今までに頂いた中でもダントツの旨さで、特に火入れに関しては、凄まじいを通り越して、神秘的な領域すら感じさせてくれる一皿だ。
初海外!中国南部の旅【2】 海口で寝込む~万寧旅社泊(by Halonさん)
広州からフェリーで海口へ。
海口では旅の疲れが出て寝込む。
バスで万寧へ向かい、東山嶺を見学。
中国人しか泊まっていない万寧旅社で不安の一泊。
(1兌換元=約65円、1人民元=約50円)
一二月二二日
海口行きの船、牡丹が広州を9時に出発。これから24時間の船旅だ。
階段を下りたところにある3等船室は、薄ぐらい部屋に二段ベッドが所狭しと詰め込まれていた。丸い窓には、波しぶきが当たっている。僕は上段のベッド、その下は中国人で中野さんと神田さんは向いのベッドに陣取っている。三等なので当然ごろ寝かと思っていたが、ベッドを見てほっとした。中国では最低ベッドは保証されるようだった。日本の瀬戸内海フェリーよりましだ。
甲板に上がってみると、珠江の河幅もだいぶ広くなっている。河岸の砂地には熱帯林が繁っている。建物は何も見えない。
昼食事の食堂は大混雑。給仕のおばさんもフル回転で、どんぶりでめしをすくって盛る。席が空くまで暫く待って、米飯と豚肉の炒め物を確保してようやく席に着く。めしは陸地に比べ一段とまずく半分くらい残してしまった。
「乗る前に、パンでも買っとくんやったなあ。」と三人でぼやく。
三等船室に戻ったが、低い天井と向かって寝ているしかないので、再び上の食堂へ上がる。昼飯のあとかたずけが済んだ食堂は人も居なくなって広々としている。窓際の長い木のテーブルで、軍人や掃除の服務員を相手に筆談して時間をつぶした。
【旅行時期】1985/12/22~1985/12/25
【エリア】
海南省
【テーマ】
【投稿者】
Halon
Web Services by 4travel.jp
豚肉料理レシピ 知り合いから豚バラをなんと3kgも頂いたのですが、豚バラとい...
豚肉料理レシピ 知り合いから豚バラをなんと3kgも頂いたのですが、豚バラというと角煮くらいしか思いつきません。 他に”これはお薦め”というお料理方法があったら、ぜひ教えて下さい。 よろしくお願いします。
豚肉料理のレシピを教えて下さい。 僕は一人暮らしなんですが、最近料理のバ...
豚肉料理のレシピを教えて下さい。 僕は一人暮らしなんですが、最近料理のバリエーションがもう少し欲しいと思うようになりました。豚肉が好きで生姜焼きなどはよくやるんですが、それ以外あまりレシピを知りません。 豚肉と野菜を使ったなるべく簡単なレシピを教えて頂けないでしょうか?豚肉もあまり高い物は買いません。安い海外産のバラ肉とかこま切れとかです。野菜は何でも良いです。よろしくお願いします。
カロリーが少ない 豚肉料理のレシピ 教えて下さい☆
カロリーが少ない 豚肉料理のレシピ 教えて下さい☆
豚ヒレ肉のレシピ 私が牛肉嫌いのため、豚ヒレの料理を作ってみたいです。 ...
豚ヒレ肉のレシピ 私が牛肉嫌いのため、豚ヒレの料理を作ってみたいです。 レシピを検索すると、牛ヒレが多くて、困ってます。 以前、彼氏にフランスのコースを食べに連れて行ってもらったとき、ヒレ肉の上にプレーンやあんずが のった料理が出てきました。 でも、かれしがプレーン嫌いのため、ねぎとかとまととか何か違うものをのせたいと思ってます。 ヒレ塊肉を3㎝くらいに切って、並べてその上にのせたいのですが、レシピ(ソースだけでもかまいません) ありませんか?
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